アーツ・アンド・クラフツ運動とは?失敗だったのか?成果や作品についても分かりやすく解説!
「アーツ・アンド・クラフツ運動」は19世紀後半のイギリスで起こった芸術運動の一つです。
アーツ・アンド・クラフツ運動は機械化・分業化への反対として起こり、 デザイナーによる環境保護活動の始まりとして歴史に残っています。
「アーツ・アンド・クラフツ運動」はどんな運動で、何が目的だったのでしょう。
本記事では「【美術解説】アーツ・アンド・クラフツ運動とは?失敗だったのか?成果や作品についても分かりやすく解説!」と題し、アーツ・アンド・クラフツ運動について探ります。
アーツ・アンド・クラフツ運動とは
アーツ・アンド・クラフツ運動とは、手工業の再興運動です。
19世紀のイギリスでウィリアム・モリス(1834-1896)がその発起人となりました。
ウィリアム・モリス(https://mars-speed.co.jp/archive-antiques-8-william-morris/)
1861年、モリスは仲間と共に「モリス・マーシャル・フォークナー商会」を立ち上げます。(1875年には共同経営者の離れで「モリス商会」へ変名。)
モリスは壁紙、ステンドグラス、装飾品、家具などの多岐の仕事を引き受けましたが、デザインからすべてを手工業で行いました。
つまり、「機械化・分業化を否定した」と捉えることができます。
アーツ・アンド・クラフツ運動の目的
アーツ・アンド・クラフツ運動の目的は「素朴な生活様式に戻り、労働の幸福を実現すること」です。
アーツ・アンド・クラフツ運動の発起者、ウィリアム・モリスが影響を受けた人物として、評論家ジョン・ラスキン(1819-1900)がいます。
ジョン・ラスキン(https://artsandculture.google.com/entity/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%B3/m0k5mt?hl=ja)
ラスキンは著書『ヴェネツィアの石』(1853年)の「ゴシックの本質」にて
- かつてのゴシック式建築物の装飾には職人の自由な精神が表れている
- 職人はかつて労働を通じて、世界と自由な交わりを持った
と説きます。
アーツ・アンド・クラフツ運動が起きたころ、イギリスでは産業革命での機械化・分業化が進み、規格化された商品を次々と生産していました。
イギリス、マンチェスター(https://on-the-road.co/?p=7174)
イギリスの市場は「世界の工場」の呼び名がつくほど成長しましたが、
- 都市部の貧富の差の拡大
- 女性や労働者が劣悪な環境で低賃金・長時間の労働を強いられる
- 都市に人が流れ、農村部は荒廃する。都市の住環境も悪化
という、資本主義の弊害が次々と生まれてもいました。
機械化・分業化は職人の中にあった労働の喜びや自由を奪い、人々の生活は決められた仕事をする無味なものになったと、ラスキンは主張したのです。
モリスはジョン・ラスキンの主張を踏まえ、手工業への回帰に対して行動を始めました。
手工業へ回帰することによる、資本主義にとらわれない、「生活の幸福」や「労働の幸福」の回復。
これがモリスの目的でした。
ちなみに「アーツ・アンド・クラフツ」は1987年に開かれた「アーツ・アンド・クラフツ展覧会」から名付けられています。
アーツ・アンド・クラフツは失敗だったのか?その影響や成果について
アーツ・アンド・クラフツ運動はイギリス各地へ広がり、手工業に回帰する人は増えていきます。
しかし、機械化・分業化の進歩に対立してしまうため、国を変えるほどの共感を得るこはできなかったのが現実でした。
人々の生活を変えるという意味では失敗だったようですね。
一方で、その広がりはイギリスを超えて、フランス、ドイツ、日本にも広がりました。
(フランスはアール・ヌーボー、ドイツはユーグント・シュティール、日本は民芸(柳宗悦))
1951年 日本民芸協会の様子(https://www.nihon-mingeikyoukai.jp/about/mingeihin/)
家具や壁紙、装丁、字体など、デザイン装飾芸術の各領域へも、多くの革新がもたらされ、現代にも引き継がれています。
アーツ・アンド・クラフツ運動によって生まれた技術、そして思想は未だに生きているということですね。
アーツ・アンド・クラフツ運動の作品
ピンパーネル(1876)
モリスが描いた壁紙です。
現在、スマホケースや洋服などファッションの柄としても用いられています。
東方三博士の礼拝(1886)
大型のタペストリー(251.2×372.5㎝)です。
デザインはバーン・ジョーンズ(1833-1898)さん、装飾はモリス協会、花や地面の部分はジョン・ヘンリー・ダール(1859-1932)という共同の作品です。
アーツ・アンド・クラフツ運動が、誰でも可能な仕事を「分業」することではなく、それぞれの知識や技術を合わせる「共同」を目指したということですね。
地上の楽園(1867-70)
地上の楽園―春から夏へ | モリス, ウィリアム, Morris, William, 健介, 森松 |本 | 通販 | Amazon
モリスが出版した詩集です。
本当は友人画家の挿絵を挿入する予定だったそうです。
モリスは1891年「ケルムスコット・プレス」を設立し、出版事業へも参入し、多くの書籍も残しています。
まとめ・考察
今回は「【美術解説】アーツ・アンド・クラフツ運動とは?失敗だったのか?成果や作品についても分かりやすく解説!」と題し、「アーツ・アンド・クラフツ運動」について紹介しました。
- アーツ・アンド・クラフツ運動は19世紀アメリカのデザイナーによる運動
- 機械・分業化ではなく、手工業による共同を目指した
- 評論家ジョン・ラスキンの影響を受け、ウィリアム・モリスが活動
- イギリス各地に広がったが国を変えることは厳しかった。
- イギリスを超え、世界へと思想や運動は広がった
ということです。
アーツ・アンド・クラフツ運動は資本主義による発展がもたらした、便利さを批判し、古来の手工業に回帰することを目指しました。
これは現代でも取り上げられることがあります。
現代の生活が環境・労働問題を起こしているが、昔の生活に戻ることは難しい。
しかし、現代にも続く職人さんや、古来の生活、その労働の喜びを知ること、味わうことで目線や意識に変化はあるのではないでしょうか。
自然ある場所に行き、その生活を知ってみること、機械ではできない人の作品を味わうこと、愛着をもつことが、生活に新たな感性を育むかもしれません。